~善き場所善き物善き知識~善き場所を訪れ、善き物を見て、善き知識を身に付ける事で、心穏やかで感性豊かな人間になりたい。そんなブログ運営をしていきたいと思います。

雄渾雄編雄材大略

家族の笑顔

生活 知識

【学び】意外な気がしてしまう「善人ばかりの家庭は争いが絶えない」という法話を調べてみた

投稿日:

こんにちは!自由を目指す雄です。
今日も私のブログにお越し頂きありがとうございます!

先日、ニュースから流れて来た一文が気になりまして。

「善人ばかりの家庭には争いが絶えない」

争いが絶えないじゃなく、「争いがない」では?と思い、気になったので調べてみました。

法話

「善人ばかりの家庭には争いが絶えない」という一文は、法話だそうです。

では、法話とは何か?

法話と、仏教において使われる言葉であり、僧侶や住職が聴衆の前で話をすることを意味するそうです。

現在では、有名な法話集が音声化・映像化されて、人気を集めているそうです。

善人ばかりの家庭には争いが絶えない

~西蓮寺掲示板 2014年10月のことば 副住職 釈勝願より~
 
「善人ばかりの家庭では争いが絶えない」という法語についてのお話です。

Aさん一家とBさん一家が、隣り合って住んでいました。

Aさん一家は、いつも笑いが絶えず、みんな仲良し。

Bさん一家は、喧嘩ばかりで、雰囲気は良くありません。

B家のお父さんが、A家のお父さんに尋ねます。
「お宅は、みなさん仲良しですね。どうしてですか?」

Aさんは答えます。
「うちは、みんな悪人だから。もしかしたらお宅は、みなさん善人なのではないですか?」と。
 
ある日、廊下に水の入ったバケツが置きっ放しになっていました。

A家では、バケツを蹴っ飛ばしたお父さんが、「気がつかなかった私が悪かった。ごめん」と謝り、お母さんが「そこに置きっ放しにしたの私なの。ごめんなさい」と謝り、子どもが「お母さんが掃除中なのに、僕がお母さんを呼んだの。ごめんなさい」と謝りました。

みんなが、自分が悪いのだと謝りました。

水浸しになった廊下を、みんなで掃除をして、仲良くお茶の時間になりました。

B家では、バケツを蹴っ飛ばしたお母さんが、「こんなところにバケツを置いてたらジャマじゃない!」と怒り、お父さんが「俺が掃除をしてやっていたんじゃないか!」と怒鳴り、子どもが「ふたりとも静かにしてよ!今、勉強しているんだから!」と怒りました。

みんな、自分に非があるとは思っていません。

その日の夕食は気まずい雰囲気になりました。
 
私に責任があった、私が悪かったと、自分の悪を自覚している人(悪人)が集まれば、争いは起きません。

私に責任はない、私は悪くないと、自分を優位に置いて、他者を見下ろすような人(善人)が集まれば、争いが起こるのは必然です。
 
さて、家庭ほどの世界ならば、自分の悪の自覚によって、みんなが仲良くなることはあり得ると思います。

しかし、世界が大きくなればなるほど、それは難しくなります。

誰かを大切に想う時、同時に誰かを傷つけてしまうという現実が起こるのですから。

日本の平和のために、経済発展のために、安く働かされている人々がいます。

危険な道具が売りつけられています。

罪もないのに差別を受けている人々がいます。

「善人ばかりの家庭では争いが絶えない」のお話を紹介したのは、「善人ぶらないで、わたしの中の悪に目覚めましょう!」などと言おうとしたのではありません。

悪の自覚は大切なことですが、「自分は、わたしの中の悪を自覚した!」と思い込んだ時点で、実は善人のままなのです。

そういう思い込みの中で、家族が、みんなが仲良くなることはありません。

気付かないうちに誰かを、他の命を傷付けている現実がある。

そのことを、心の片隅に置いて欲しいのです。

正義を果たした時、泣いている誰かがいます。 

正当化と自己中心

「善人ばかりの家庭」の善人とは、私は正しく悪いのは回りの人と、いつも自分を正当化する自己中心的な人のことでした。

互いに自分の正当性ばかりを主張していたこと、つまり自分は善人であるということを主張しているのです。

しかし、そのことに気付いていないのです。

執着から生まれる争い

争いというのはいつでも「私が正しい、正義である」という心に執着するところから生まれるのです。

しかし実際のところ、人を責める言葉の多い世の中で、自分のいたらなさを人前にさらすことはなかなか出来ないことです。

私たちは煩悩というものを持っていますから、ついつい自分を守ろうと、自分の都合ばかりを優先してしまいます。

人間とはそういうものです。

それでも、自らが善人であると自惚れ、自分に都合のいい主張で相手を裁いていくよりも、「自分がいたらなかった」「私が悪かった」と、心を開いて向き合う『愚かな人間関係』の方が争いごとは起きにくいのです。

どんな家庭であっても、どんな社会であっても、これだけははっきりといえるのではないでしょうか。

まとめ

ここにある「善人」とは、私が思う素晴らしく素敵な人、心穏やかで優しい人とは違うものでした。

「自分は正義で、悪は周りだ」という、自らを正当化する強い自己主張であることが分かりました。

様々な方法で自分の思いを発信出来る現代ですが、いつか、はっと自分の正当性を主張していると気付かされる日が来るかも知れません。

「悪人ばかりの家庭は笑いが絶えない」

出典:善照寺
出典:Wikipedia
出典:廣國山稱名寺
出典:國學院大學久我山中学高等学校

-生活, 知識
-,

Copyright© 雄渾雄編雄材大略 , 2021 All Rights Reserved Powered by STINGER.